アートの直島と城下町・岡山をめぐる(前編) |
旅と言っても、行き先はお隣の県である岡山と香川だ。
朝8時半に神戸の垂水を出て、18きっぷ的に在来線にのんびり揺られて2時間で岡山駅。しかも運賃はたったの2000円ちょい。こんなにチープに旅情を味わえるなんて嬉しいねえ。日本最高。
岡山駅で大学時代からの友人O氏(from島根)と合流し、両備バスで宇野港まで1時間くらい。
宇野港は高松や小さな島々への船が出ている瀬戸内の拠点。土曜日ということもあってフェリーに乗る観光客がいっぱいだった。英語や韓国語もあちらこちらから聞こえてくる。瀬戸内国際芸術祭が始まって以来、海外からも旅行客が訪れるようになっているらしい。
ここから本村地区はすぐ。どうやら島の中心はこのあたりらしくて、なんかの宗教施設みたいな立派な役場があった。
アートもええけど、個人的にはこういうじじむさい町並みがたまらんのじゃ〜
現代芸術家のジェームズ・タレルの作品で、僕は大学(美学芸術学科だったので)のレポートを書くために以前ここで同じものを体験しているから2度目なんだけど、それでもなお新鮮で楽しかった。
【以下内容ネタバレ】
建物の中に一度に入れる人数は決まっていて、人数が集まると中に案内される。手を壁につけながら真っ暗な部屋の中に進み手探りでベンチに座る。それは本当の暗闇で、自分の手さえまったく見えない漆黒の世界だ。現代を生きていて、日常でこれほどの暗闇を経験することはまずない。
そこで僕たちは5分ほど待たされる。何も見えない中で、それは永遠のように長く感じられる。他の鑑賞者のざわめきも次第に止んで、あたりを静寂が支配する。その濃密な暗闇の中では、自分の肉体でさえも実態のない観念的なものに思えてくるし、こうして考えている自分の思念だけが宇宙空間にぷかぷかと漂っているような、奇妙な感覚に包まれてくる。
その頃になって、暗闇の奥の方にぼんやりとした光を僕らは見つける。目を凝らさなければ分からないような微かな光だ。案内の人がそこで「この光はみなさんが部屋に入ったときからここにあったものです」と言って、僕らは驚き、そして不思議な感慨に包まれる。暗闇に目が慣れてきたことで初めて、僕らはその光に気付くことができたのだ。
そうして僕らは暗闇の中で立ち上がり、じわじわとその淡い光の方へと歩み寄って行く。
静かに冥界へと導かれていく死者たちの魂のように。
※こういうこと言うと貧乏臭くてダメなんだけど、直島の施設はいちいち入館料が高い気がします。アートを楽しむのになんかみみっちいけど、「値段の割に…」というのが多かった気がする。家プロジェクトは共通券で回りやすかったから、もうディズニーランドみたいに「入島料」を上陸時に払ってパスポート制にするとか、そういう方がパブリックに楽しめていいと思うんだけど。芸術祭に関係なく。まあその程度のこと誰か思いついてるだろうから、そうならない理由が何かあるんだろうな。
まあいいや。
埋没してる鳥居。
最後に訪れたのは『リーウファン美術館』。
もう5時過ぎていたし、結構疲れてしまっていたのでそのまま自転車で山を下りて宮浦の町に戻る。
食後唯一のコンビニ(22時閉店)に寄って夜食を調達し、アートな銭湯『I♡湯』にも行ってみた。浴場の上にゾウがいたりとか、「肉体」とか「欲望」とかなんとなく卑猥な感じの文字があっちこっち書いてあったりとか、支離滅裂の館だった。まあ、何事も体験という感じで訪れればよろしいかと。
そのあと港でぼーっとしたりドミトリーのバースペースでポテトチップかじりながらどうでもいいAKB総選挙を眺めたりしてうだうだやって、アートな?1日は終了。
直島。
コンセプトとしてはとても面白いしアートもそれぞれ楽しめるものだけど、企画・運営側と地元民との間の温度差を感じる。お店や町の人と挨拶程度にしゃべってみて、島の人々はどうも「アートの島」として観光客がわさわさ押しかけてくることに、ちょっとうんざりしているんじゃないかという気がした。アート関連施設のスタッフがソツなくインテリジェントに対応するぶんだけ、そのコントラストがくっきりと浮かび上がる。なんとなく、だけどね。
あと、完全に部外者の無責任な意見だけど、アートの島というからには、島に住み着いて活動しているアーティストがもっといっぱいいてもいいような気がする。ヒッピーコミューンみたいなのも困るだろうけど、カナダのバンクーバー島周辺にはそういう島もあったから、ふと思いました。
翌日は朝早く直島を出て岡山をぶらっとしたんだけど、それはまた次回。
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