姫路・網干を歩く(2)加藤家そして山本家 |
あぼしまち交流館のすぐ北に、廻船業や醤油業で財を成した豪商の屋敷「加藤家住宅」がある。
加藤氏は網干の実力者となり、明治期には県会議員や網干町長を務めた。
この石碑の碑文の上の部分は、かの勝海舟によるもの。番付の河野東馬が、海舟の部下で網干出身だった赤松則良(海軍中将)に依頼して書いてもらったものだそうだ。
今度は、あぼしまち交流館から揖保川の土手沿いを南へ向かう。
地味な感じだけどなんだか味のある建築を発見。
網干商工会館と書いてあった。さり気ない丸窓がかわいい。
網干商工会館は、昭和15年の竣工。ということは、真珠湾攻撃の前年だな。
日中戦争が泥沼化し、インドシナ南進でアメリカを怒らせてオイル輸出禁止を食らっていた頃だ。まさに開戦前夜、どんな雰囲気だったんだろう?
さあ、いよいよ網干の古い町の核心部へ。
金刀比羅神社。
境内にあった火の見やぐら。
鳥居のすぐ横に、いきなりいい感じの建物が!
どうやら魚屋さんらしい。立派!
正面から見るとこの堂々ぶり。
千と千尋の油屋みたい。
二階の窓と、一部残る青銅色がまたなんとも…
加古川の多木浜洋館もそうだけど、これはケンチクの世界で言う、銅(10円玉のやつ)が長年風雨に晒されて酸化した緑青(ろくしょう)というもの。
実を言うと僕はこの緑青の味わいが大好きで、緑青のある看板建築なんかあると一気にテンション上がっちゃう。
このあと歩いた町中でも所々見られたので、かつての網干では銅を使うのがトレンディだったのだろう。
そして、その魚屋さんの前に広がる町並みがこれだ!
おおおお! なんだこれは!?
やたらカッコいいお屋敷じゃあないですか!
あんまり見たことのない感じの建築だ。何階建てなんや?
特徴的な望楼は大正期に作られたものだという。
現在もお住まいとのことで、内部は残念ながら非公開。見てみたいなあ…
魚屋さんの前から。ゲタ(舌平目)の干物が風に揺れていた。
僕にとってはディズニーランドより楽しい。
てなところでつづきはまた次回。
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