姫路・網干を歩く(4)ダイセル異人館、スコーン、誠塾 |
さあ、ダイセル異人館までやってきた。
以前の記事で紹介したニッケ社宅群でも、こうした外国人技師のために建てられた「異人館」が見られた。急速に近代化を進めようとする日本にとって、彼らの助けは不可欠だった。
一等国を目指して邁進する日本人の姿は、彼らの目にどんな風に映ったのだろう?
そして、彼ら外国人技師たちはその後の恐慌や戦争を時代をどう生きたのだろう?
ビジネスライクにさっさと本国へ帰ったのだろうか。
あるいは日本を気に入って残った人もいるのかも知れない。
会社の営業日にはこの異人館内部も見学できるそうだが、残念ながら休日のため入ることはできなかった。くやちー。
すぐ近くにあるもうひとつの異人館。
こちらは会社の迎賓館として使われるらしく、敷地内には入れない。
庭側は植え込みの中から覗き見えるのみ。公開されてると言っても会社の敷地内なので、怪しい行動は慎みましょう。
エンジニアリングセンターとして使われている建物も、異人館っぽい造り。
特に説明書きなどはなかったけど、これも古いもんなのかな?
なんかちょっと、グラバー邸。
一通り見ることができたので、ダイセルをあとにして再び網干の町中へ。
昼飯も食わず建物めぐりに熱中してしまって(というか、飲食店がそもそも見当たらなかったんだけど)、時計を見たらもう4時。
さすがに腹が減ったので、目についた古いお菓子屋さんに入る。
奥から出て来た愛想ゼロ行進のオヤジさんから、紅茶味とドライフルーツ入りの2つを購入。
スコーンはカナダのビクトリアでアフタヌーンをして以来。ビクトリアの次が網干っちゅうのも妙なものだ。
やっぱり大福にしときゃ良かったぜ。
駅への帰り道の途中で寄った幕末の私塾、誠塾。
前々回紹介した加藤家で、碑文の字を勝海舟に(正確には海舟の部下に)頼んだ河野東馬が慶応4(1868)年に開いたもの。
網干は(かなりヒナビてはいるけど)どことなく文化的な雰囲気があるなあと思ったら、やっぱりこういう人間を輩出している土地なのだ。侮れない。
網干の町歩きはこれで終了。
せっかくの乗り放題きっぷなので、これから山陽電車で姫路に行って晩飯を食おう。
飾磨で乗り換えたら、軍師官兵衛のラッピング電車!
…というところで、今日はここまで。
つづく
にほんブログ村