東京を歩く 2014秋(2)失われた時間と、三鷹の太宰治 |
醤油店と和傘問屋。風格があるけれど、それぞれ大正、昭和初期という年代で、江戸時代のものではない。

東ゾーンのドン突きにある銭湯。
ここも千と千尋の参考のひとつとなっているらしい。

銭湯の中も見ることができる。江戸の銭湯らしく、富士山の絵。もちろん、お湯は張られていません。

こちらは、鍵屋という居酒屋。
1856(安政3)年築の平屋に、大正時代になって二階を増築したもの。



園内には緑も多い。
住宅開発でほとんど消えてしまった、美しい武蔵野の里山の風景が蘇りそうな。

ひとつひとつ詳しく紹介すると長くなるので、一部をざーっと見ていきましょか。
これは明治から昭和の大政治家、高橋是清のおうち。

建築家、前川国男のおうちの中。開放的な空間が気持ちいい。

田園調布の家の書斎。いいなあ、こんな物書き部屋が欲しいなあ…

ちょっと『風立ちぬ』な、デ・ラランデ邸。



近代のモダンな建物だけでなく、園内には武蔵野らしい茅葺きの民家なんかもある。


宮崎駿さんが『トトロ』や『風立ちぬ』あるいはその他の作品で描きたかったのも、そうした失われた風景や時間そのものだったのではないか。宮崎さんはそれらを愛しているが故に、「このへんないきものは、もう日本にいないのです。たぶん。」という糸井重里さんのトトロの最初のコピーを、「このへんないきものは、まだ日本にいるのです。たぶん。」に修正したのだと思う。

とまあ、色々考えながら、江戸東京たてもの園の見学は大満足で終了。
今はジブリ展もやってるし、ゆったりして気持ちのいいところなので、みなさんにもぜひおすすめします。休日は園内のなんちゃら邸で半日くらいゆっくり読書、なんてのもいいかも。僕も近所にあったらしょっちゅう来たいくらいだ。

小金井からそのまま都心部に戻るつもりだったのだけれど、せっかくの中央線なので、三鷹に行ってみることにした。目的地は、僕が敬愛してやまない文豪・太宰治のお墓。
武蔵小金井からすぐの三鷹で下りて意外と繁華な駅前の商店街を進み、15分ほどで禅林寺に到着。明るい感じのお寺だ。

森鴎外のお墓も。

太宰治のお墓!


向かいにあるのは明治の文豪・森鴎外の墓。高校の頃はちょっとハマっていたなあ、鴎外先生。

それから、町中にある「太宰治文学サロン」で展示を見たり。

太宰治最期の地、玉川上水沿いを歩いたり。


太宰が写真を撮った当時と変わらない陸橋に行ってみたり。


こんな感じで、三鷹には太宰治ゆかりの場所がたくさんある。太宰は1939(昭和14)年9月から1948(昭和23)年6月まで三鷹で暮らし、『走れメロス』『斜陽』『人間失格』といった誰もが知っている彼の代表作はこの町で生み出された。

彼自身の「恥の多い」生涯は、彼にとって不幸であったかも知れない。でも、同時代のほかの多くの作家が今日性を失い消えていった中で、太宰の作品は70年以上経った今でさえ文学史上に燦然と輝き、なおも多くの読者の心を揺さぶり続けている。そのことを太宰が知ったら、少しは救われるだろうか?
でも結局のところ太宰が求めていたのは、文学それ自体の完成ではなく、文学による自己救済だったのだろう。それがかなわないと分かった時点で、彼にはこの世で生きていく意味を失ってしまったのだ。

というところで、小金井&三鷹の文化的散歩を終えて、都心に戻った。
東京のつづきはまた次回。

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